329日振りにブログを書く
だそうです。
グダグダ言う
テストが終わったからってわけでもないし、過去の自分に八つ当たりしようってわけでもないけど、なんとはなしに自分のブログを振り返ってみる(たった8+5記事しかないこのブログを!?!?)
まあただ単にブログが書きたくなっただけなんです。ブログ、書きたい、書いてみる(ハハハ先生構文)
昔の自分、一体何してたんです...?
オープンワールド作りたいっていきなり言い出して、Blenderに手を出し、Unityに手を出し、かと思えば今度はアニメレビューしだす始末。
☆一番最初のブログ(厳密には違う)
この頃は時間が無限にあったように感じられて、好き放題自分の理想を掲げていた
☆肌色多めのキャピキャピした3Dモデルに惹かれキャラモデリングに手を出すも、あまりに膨大すぎる作業量、まったくキャピキャピしない作業途中の3Dモデルに絶望(見た目がマジで怖い)
☆SHIROBAKO、結局最後まで見てない
アニメレビューすらできなければそのアニメからは何も得ていない、ということを身を以て実感したのはもうすこしあとになってからだった
それもそのはずで、この頃(中3~高1)は
・Unity
・アニメ、ラノベ
が自分の生活だった。(勉強しろよ・・・・)
しかも、「ガチでゲーム作りたい」とか「ガチでキャラクターモデリングしたい」とかじゃなく、あくまで個人の趣味の範疇でやってた
...って書こうとしてたけど、高1の時点ですら「将来は3DCGやる」って言ってたから、半分ガチだったかもしれない...?
自然消滅に近い挫折
まあ、今では全部やってないんですけどね。キレイさっぱり。
ブログを書くことも挫折、ゲームづくりも挫折。
理由は単純で、「面倒くさい」から。
創作って、自分の理想と実力のギャップに向き合うのが難しい。
自分の頭に思い描いた理想、完成形が高いほど、いざ「創作」というインターフェースを通して自分の目で見てみると、信じられないくらいガックリする。
いや、そもそも大半は完成しない。完成形にガックリする以前に、そもそも完成に至るまでの地球と月の距離ぐらいありそうな道のりにガックリする。理想が高いとなおさら。
そんな茨の道を自分の重すぎる腰珍しく上げていつもの自分より頑張ってみよう!と意気込んで取り組んでみたのに、いざ完成形を見ると吐きそうなくらい自分の努力があっけなくなってくる、と言い換えることもできる。
結局は、自分は過程をなんとか省いて理想だけ見たかっただけだった。努力なんてしたくない。苦い汁なんて飲みたくない。あーあ誰か自分の創作代行してくれー・・・(当時の声再現、99%憶測)
いや...努力しようよ!?!?
理想のためならどんな努力もいとわないべきでしょ!?
努力がすぐに報われなくたっていいんだよ、大切なのは理想を追い続けることを忘れないことだよ!
って言ってあげたい。過去の自分に。
そしたら、血眼になって夢に向かうちょっとuniqueな自分が見れたかもしれない。過去の話だけど。
前期試験まであと一年切ったってマ?
そういえば、一昨日前期試験でしたね〜(え??)
山陽新聞は優秀なので、もう家に入試問題が届きましたね〜〜
んでもう一年後の自分はこれが解けるようになってないといけないわけだから、一問ぐらい解こうとしてみたわけですよ。
そしたら、それまで入試問題だと思っていたものが、急にタイムマシンにトランスフォームしてしまったわけなんですよ〜(えぇ??)
折角の機会なんで、時刻を一年後に設定して、ちらっと自分の将来にちょっかいかけに行こうとしたんですよね〜(過去の自分にもブログを通してちょっかいをかけ、未来の自分にもちょっかいをかけにいく超越者となってしまうわけだ)
そしたら、自分、入試会場でボロクソ泣いてましたね〜まだ試験時間中なのに
もうね、数学全然わかんないらしいんですわ、大問1の(1)から見たこともない応用問題に翻弄されて、まったく手がつかないらしいんですわ。
ちょっかいかけに来た自分ですらかわいそうだと思ってしまうくらい、残念でしたね〜
そう思ってたら、急に視界がブラックアウト。目が覚めるとそこは元いたリビングで、新聞に書かれた入試問題を解いてた最中だった。
そこには、タイムマシンで見た問題と全くおんなじ問題が目の前にあった。
なるほど、自分は山陽新聞に化かされていた、ということなんですねぇ〜(ェ?)
今の自分では合格する分岐に辿り着けない、そうそっと諭されたわけです。
Take it easy主義、ただし理想にひたむきに
ブログなんて書いて日々を浪費していた高1の日々のツケは着々と回ってきているわけなんですよね。(高2もやってることたいしてかわらん)
今の自分は努力することを知らない。努力するたびに自分は理想に一歩近づくことができるという事実に気づけていない。
なら苦い汁を飲むことを嫌がる必要もないはずである。
それでも、苦いもんは苦い。
いつか体が拒否反応起こしてしまうかもしれん(からしチョコよりはマシそうだからいいんじゃね?という冗談はさておき)
じゃ苦くしなけりゃいいわけです。
そもそも汁を苦くしているのは自分だということに気づいてみる(忘れた頃にハハハ構文)
あんまり先の未来ばっかり見据えてると、そのたびにそこまでにかかる距離を知って絶望する、そして汁は苦くなる。
しかし、
「困難は分割せよ」
(人差し指二本を交差させた直後に瞬殺ビンタをかます親父はあいつしかいない、そう某ルロイ修道士である。知らない人は義務教育が欠如している可能性があるから、もう一度ロリからやり直そう)
とりあえずその日はその日の努力だけをしてみる(ハハハ)
その日はその日できたことだけを喜べばいい。それを将来の理想と相対的に比較する必要はない。
要するに、少しずつ、これから努力していってみませんか――という独り言。
(結局ただの散文チックになってしまったから、ブログ的には不燃焼感ある。また明日リベンジさせて)